2015年4月4日土曜日

2015年2月例会感想

子ども達に託されたカンボジアの将来
T.M.
 
2月例会では、前半、村田さんから武蔵野市国際交流協会(MIA)が取り組んでいる「地域の国際交流と多文化共生の取り組み」を、そして後半はカンボジアからの留学生のウン・テワンダさんから「カンボジアの現在・過去・未来の発展問題」について話を伺いました。
 
.「地域の国際交流と多文化共生の取り組み」
まず、村田さんからは、日本には在外外国人・留学生・ビジネス/仕事で来ている人・観光/旅行者など様々な外国人がいること。そして武蔵野市でも、地域で外国人が英語教室を行っていたり、料理では、ネパール人がインド料理店を開店しているなど地域に外国人が溶け込んでいること。武蔵野市では、66か国、2,277人が暮らしており、比較的先進国の人が多いのが特徴であること。
日本語の学習支援も単に日本語を教えるだけではなく、スーパーのチラシを読んで一緒に買い物に行くことや、市内にも大学が多いことからMIAが大学へ出向き説明会を行い、留学生が地域の人と交流するなどのプログラムをつくっているとの話がありました。
ウン・テワンダさんもそのプログラムの一環でMIAと係わるようになったとのことでした。
 
.「カンボジアの現在・過去・未来の発展問題」
ウン・テワンダさんは28歳。これまでプノンペン大学で日本語の教授をしており、日本語のみではなくさらに様々なことを学びたいと日本に留学をされたとのこと。2年の留学(今年が1年目)期間を過ぎたら何年か日本の企業に勤めた後、プノンペン大学へ戻ろうとも考えているとのことでした。
(1)カンボジアの過去
ウン・テワンダさんからは、カンボジアの名前の由来(日本にカボチャをカンボジアから持ち込んだことから名づけられたこと)、カンボジアの季節(雨季(5月~10月)、乾期(11月~4月))、産業(8割が農業)、神様(ネックター)、国旗(アンコールワットをデザイン)、挨拶(お坊さんから同僚等など5種類の挨拶方法があること)や簡単な言葉の紹介がありました。首都は現在プノンペンですが、過去、都はチャンラーアンコール(11世紀~13世紀)→チャットモック(14世紀~16世紀)(現在のプノンペン)→ウドン(16世紀~18世紀)→チャットモック(現在のプノンペン)と移ったとのこと。1863年~1953年まではフランスの植民地。1975年~1979年はポル・ポト時代。人々が都市から農村へ強制的に移住させられ、200万人が死亡したこと。1993年に新生カンボジアの国民投票が行われたことの話がありました。
(2)カンボジアの現在と将来
2015年、プノンペンの人口は150万人。高額所得者が通うイオンや高層ビルが建ち並んでいるとのことでした。プノンペンが現在抱える問題は、(1)池や川が埋め立てられていること(2)インフラがまだ整備されていないこと(3)通渋滞が発生していること(4)交通ルールを守らないこと(5)物価が高いが給料が安いことなどを挙げていました。
このような状況で、将来、プノンペンはどのように変わるべきかについてウン・テワンダさんは、高層ビルが建ち並ぶことは地価が高くなることでもあり、先進国になる必要はなく、まちの個性を守り、価値ある建物を残していきたいと話されていました。
 
.子ども達に託されたカンボジアの将来
私も1990年代にカンボジアを訪ねたことがあります。当時は、ポル・ポト派が密林の奥地に逃れ、まだ完全に戦闘が終わっていない時期でした。アンコールワットへはバスの前後に軍隊のジープの護衛があり、アンコールワット遺跡の要所にまだバズーカ砲がおいてありました。当時、小学校を訪ねたとき、ガイドが「カンボジアの将来はこの子達が担うんだ!!」との話に、今回、留学生のウン・テワンダさんの姿が二重に映り、何とも言えない気持ちでした。

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